■#01 《都通りと小樽》 -歴史と沿革-

大正10年、都通商店街稲電会が発足。
組合組織が作られる以前から既に商店街としての機能は果たしていたようだが、正確な成立時期は不明。
おそらくは明治30年代後期、稲穂地区が切り拓かれ人が集まるに連れて、露店・商店が軒を連ねていったものと思われる。

以来第二次大戦の終結に至るまで、近代日本の発展を支えた幌内炭の積出港として、樺太そして世界を相手にした国際貿易港として、また昨今では幻の魚とまで言われる鰊の一大漁場として、小樽が繁栄すると同時に商店街も隆盛を極めた。
終戦を境にその広範な商圏を失い、『斜陽の街』等と言われるも小樽の中心地、市民の台所として賑わいは途絶えることはなかった。
昭和39年、前年施行された商店街振興組合法を受けて都通り商店街振興組合発足。
昭和41年には念願のアーケードが完成し、日々総出の雪掻きから解放される。
昭和43年頃アーケードを飾るシャンデリアが取り付けられる。
雪の結晶を象ったようでありながらUFO?の様にも見えた独特な六方型の物だったが、20年程運用された後、現在のシャンデリアに付け替えられる。

平成。
バブル崩壊以降市民のライフスタイルが変化すると共に、郊外型店舗、激安ショップ、大型ショッピング施設が台頭し、凋落の一途を辿るかと思われた商店街。
加盟店舗の廃業・移転なども目立ったが、それでも尚、多くの市民の応援と商店街有志による数々のイベント・施策、新たな業種の出店などにより厳しい時代を乗り越えつつある。
そして2002年。
新たな世紀を迎え、より一層の進化・真価が問われる日本各地の商店街・・・。
都通りもまた新たなる第一歩を踏み出そうとしている。

全てはそこに集う人々の為に
Centraltown is reborn.


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